最近思ったことを、思考メモ的に書いて行こうと思います。
先日、久しぶりに再会した友だちと今の学校教育の話になった。
かいつまんで言えば、昭和的押し付け指導や根性論ってなんなんだろうね、という話になったわけだけれど、ここでふと、そもそも、
「教える」仕事ってなんだろう?
という哲学的な問いが頭をよぎった。
教える仕事の社会的意義は何か?
何を教え、伝えるのか?
学問や知識などの体系化された真理か。
生きるために最低限必要な知識や技術、社会儀礼か。
このように、頭の中でぐるぐる考えていると、そもそも公教育の発端は寺子屋なのでは?というところに行き着いた。
そうすると、「読み書きそろばん」。
あの時代を豊かに生きるための知識や教養を、先達が若輩に伝える場であったと捉えられる。
とするならば、ここが問いに対しての核心だろうか。
「この時代を豊かに生きるための何かを伝える場所」。
それは「押し付け」では決して伝わらないよなと思う。
この不透明な時代の中で、豊かに生きるとは何か。
その答えを自分なりに日々探っていき、ある年齢で形に出来ない人は、下の世代に一体何を教えるのだろう。
実践的なスキルや知識、生きる術を伝えるのも確かに大切だが、
教え手の心の中に、肝心な「豊かに生きるとはどういうことか」という実体験やビジョンが抜け落ちていては、本末転倒ではないか。
学術や技術が直接伝わらなくても、生き様に刺激を受け、道が拓けることもある。
それを「薫陶」というらしい。
流清
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