〜 いまを考える 〜



〜 いまを考える 〜

Associate Generations -28- 

目的は、熟考とmix up。
日記やコラムのような自由な投稿で、同世代のいまについて互いに理解を深めたいと思っています。



2017年11月29日水曜日

「巡り合わせ」






「あなたのために言ってるのよ。」




本当にあなたに伝えたいなら、「あなたと対話しようとしてきた」はずだ。








道を進んでいると、岐路に差し掛かる。



右に行くか、左に行くか。



答えを出すときに迷うだろう。

そんなとき、あなたの力になってくれる人は何て言うだろうか。



どちらかを勧めるかもしれない、勧めないかもしれない。



そのときに明確な答えは教えないかもしれない。




だけど、あなたのことを見てくれていたなら、そこにたどり着くことを見据え、あなたのために沢山のことを教えてきてくれたはずだ。







自分の気持ちを選ぼう。


他の誰かに選ばせてはいけない、誰かが後悔する。





気持ちは、そのときではなく、そのときまでに積み重ねたものの上にある。











そして、選んだ先に、誰かとまた巡り合わせたらラッキー。





側にいる人がいつまでも側にいるとは限らない。

岐路の先にまたいるなら、それも巡り合わせなのだろう。






岐路での選択は、巡り合わせを選ぶということだ。







常に一期一会。



茶昊

2017.11.29


2017年11月26日日曜日

「仕事を楽しむ」





昔から人を驚かすのが好きだった。



物陰に隠れては飛び出し、通る妹や親を驚かしていた。


あの隠れている時のドキドキ。高揚感。




さて。



最近の仕事で意識しているのは、


「いかにお客さまに喜んでもらうか」




そのための挑戦を日々考えている。



それもまた高揚感を伴う。




時短や生産性ばかり考えているのは疲れる。




もっと自分が楽しめるやり方で仕事をやっていこうと思う。








流清

2017年11月25日土曜日

距離感

気を遣う


そもそも気を遣うってなんなんでしょう。


誰に対して

何に対して

気を遣うんでしょう


思いやり、マナー、礼儀、潤滑油、社交辞令

色んな意味がある。


でも、相手を思っているようで、実は自分の身を守ってるだけだったり


気を遣うってほんと難しい。


相手のことを思う気持ちが


そのまま伝わらないことが多々ある


気を使ったつもりが実は余計なことだったり


相手にとって迷惑だったり


相手が気遣ってくれた想いでもそれが自分にとって受け取り難いものだったり



基本的には信頼関係がものを言うのかもしれない 


けど親しき仲にも礼儀ありなわけで


相手にとっても

自分にとっても心地よい距離感を探す



人によってちょうどいい距離感は絶対にあるはず…!


それが今の課題です。


深森


♯人間関係

2017年11月22日水曜日

「 種 」






わかろうとしても、考えなければ、ずっとわからない。




本で読んだり、人の話を聞いていれば万事okではない。






本を読んだり、人の話を聞いたり、何かを教わったりするのは、





気づきの種を蒔くということなのだと思う。






自分が気づこうと思考したときに初めて芽が出る。

それは、気にかけているから。





気にかける。

どうしてそういう言葉をもらったのか。




気にかけなければ、雑草に埋もれて枯れるだけ。

でも、それでもいい。






だけど、本当にきれいな花の種は道端に落ちていない。






自戒。


茶昊


2017.11.22

2017年11月20日月曜日

【ブレイクタイム】SAKOUのスタンプ日記:ファイナル






だいぶ放置していました、スタンプ日記。




今回が最後となります。

(途中かなり飛ばしたことは申し訳ございません(笑))





ある日曜日の夜中、


くまのスタンプを作ってと言われ、


ひらめくようにスタンプを描き始め、


3日目の夜にして、仕上がった。





決めたら勢い大事だな。




審査に時間がかかりましたが、ようやく通りました。





今回は主観的な使用感を元に作成。


しかし、40個にしたけど、大変。

(動くやつは、労力が割けず、やめました><)




これがLINEスタンプ引退作品かな。





「くまのベアさん」
https://line.me/S/sticker/1720934





おつかれさまでした!


茶昊


2017.11.20

2017年11月19日日曜日

「勝ち負け」






勝ち負けに無性に拘る人っている。





遊び心混じりでならよくあるけれど。



遊びでなく、本気で勝った、負けたに一喜一憂していたら、それは疲れるよなーと思う。




勝ち負けという単純な切り口で日常を見ていけば、やはり単調な日常になるのは必然。



日常の奥に潜む勝ち負けでは到底測れない深いコトまで目が行き届かない。







「この世界に果たして勝ち負けはあるのか。そもそも勝ち負けってなにか。」





この問いに関して、このブログを読んでいる方のご意見をぜひお聞きしたい。




僕は、勝ち負けがあるとしたら、


自由になれたかどうか。


それ一点だと思う。





人はそれぞれ何かしらの宿命や業を抱えて生を受けたと思っているんだけれど、



それに向き合えず、がんじがらめになってしまったら負け。



きちんと向き合って、自分の中で宿命(あるいは弱さ)と格闘して、心で納得できたなら勝ち。




シンプルにそれだけではないだろうか。






「自分の使命はなにか」。



「どうしたら自由に生きられるのか」。



「自分を疲れさせる、不自由にしている鎖は何だろう」。




もしちょっと勝ち負けに拘ってしまっている時は、ちょっとこの問いかけを自分に向けてみる。




そして、自分に必要なことを再確認して、自分と格闘する。



自分と格闘して、今の無知で無力な自分を、力ある人間に変えて、宿命に応える。




他人と戦ってるエネルギーはないはずだ。




格闘すべき相手は…。





流清




自戒を込めて。

2017年11月18日土曜日

化学反応

結婚って何だろうって日々思うんですよ。

私は独身アラサー女ですから、周りの似たような友人の話も色々聞きます。

相手を探す苦労とか、街コンに行く労力とか。

いざ出会えた人との相性とか。


ゼクシィのCMで『結婚しなくてもいいこの時代にあなたと結婚したいのです。』

ってありましたけど、まさにその通りかなと。


そんな相手がいれば結婚するし、いないなら無理にしなくてもいいやと最近は思ってます。

自然体で!

でも人といるならば得られるであろう至上の喜びって絶対あるわけで。

自分にも相手にも起こる化学反応が必ずある。


自分を大事にしてもらう喜び
些細なことでも一緒にできる喜び
一緒に生活していける喜び
気を遣い合うことが苦じゃない喜び

お互いがお互いを大切に思ってるから気付けること
優しさに気付ける
異変にも気付いてくれる
いつも見ていてくれる安心感
毎日の些細なことを報告できる人がいる
自分も知らない自分を教えてくれる
自分でも分かってない自分の魅力を教えてくれる
互いに自然体で居られる幸せを教えてくれる
愛をたくさんくれる
優しさをあげられる喜び
優しさをもらえる喜び


思いつくままに書いてみました。
1人じゃ難しいことがたくさんある。



先日流清さんと茶さんとも恋愛トークをしたのですが笑


自分という人間と


パートナーという赤の他人とで


何か化学反応を起こせる幸せな関係であれたら


いいですよね。




深森


♯恋愛・結婚

2017年11月15日水曜日

すべてを糧にして






悲観はエネルギーを削ぎ、しかも伝染する。


悲観は不自由だ。






かといって


楽観は自由かというと、違う。






悲観、楽観してても、伝染はするけど、目の前はひらけない。






達観。








あらゆることを学びの糧にして、あらゆる角度から進むのみ。





必要なら、枠組みにさえ挑戦していこう。






自由ってそういうことなんじゃなかろうか。



2017/11/15

2017年11月12日日曜日

「 自由を目指すなら 」




今日東洋経済オンラインでたまたま以下のような記事を目にした。




●27歳独身美女が「彼氏をもう1人」つくる事情
そこにはマンネリの関係や承認欲求がある
http://toyokeizai.net/articles/-/195860



”20年間にわたり2000回以上の合コンに参加した日本で唯一の「プロ合コンコーチ」である筆者”という触れ込みに眉をひそめつつも、読み進めていくうちに、内容の真偽は置いておいて、吐き気がこみ上げてきた。



ファースト彼氏に対して信頼感や安心感を抱いておきながら、不貞を働く意味が分からない。


一体相手の何を「信頼」し、「安心」しているのかがよく分からなかった。


マンネリしてる関係=変化のない関係=変化のない日常=退屈な日常。


だと思うのだけれど、そこに陥って相手の何を信頼し、安心しているんだろう。






昨日深森さんがかっこいい大人について書いていたけれど、僕も、10代終わりの頃からずっとかっこいい大人になりたい、清々しく後悔しない生き方をしたいと願い続けてきた。






かっこいい大人とは何か。




後悔しない生き方とは何か。









僕は「人に背かない人」がそれだと思う。






人に背いて、後ろめたさを抱えて小狡賢く生きない。


自分を不自由にしない。




現実に起こる様々な問題から目を背けて解決しないで生きてしまうと、その分だけ不自由に生きる羽目になる。




一時的に逃げるのはいい。


時間をかけないと解決できない問題もあると思うから。




だけど最終的にはすべて解決していかなきゃいけないんだろう。








自由でかっこいい大人を目指すなら。





そのために日々、自分を変化させる。






流清

2017年11月11日土曜日

かっこいい大人


親戚の子というかいとこの娘と遊んだのですが


小3にしてすでにパパが嫌いだそう…



何かやっても気づいてくれない


褒めてくれない


褒めてもなんか適当で興味がないのが分かる


だから嫌なんだと。




パパがダメなのはもちろんなんだけど…


子どもはちゃんと見ているし


まだ表現が未熟なだけで


ちゃんと心で感じてる


怖いくらいに純粋な目でよく見てる



そんなことを実感して、私は子供達に何を感じてもらえる大人なんだろうなと。





子供の前でかっこよく映り続ける大人ってとてもハードル高いけど




大人になると、多少小狡くならないとやってられないようなシチュエーションが増えるし


自分の保身のために逃げることが必要な事もある



綺麗事だけじゃやっていけなくなる



だけど肝心なことや大事なことに対しては、ブレずに胸を張って貫き通せる大人でありたいと



密かに誓った



深森


2017年11月8日水曜日

「 形 」





形に縛られないことを望む。



ただ形に縛られないようにしたいと思っていても、なかなかそこに到達できない。




それは自分が培ってきた形があり、それをなかなか壊せないから。




なかなか壊せないのは、染み込んでいるから。




気づかないうちに形に縛られている。




そこから抜け出すには、環境や形を変えないといけないのだろう。




形は、思考と学びのそれにちがいない。




茶昊


2017.11.8

2017年11月5日日曜日

「未来はきみに優しいだろうか」






座間市の遺体遺棄事件には震撼した。事件の凄惨性、ツイッターで自殺を考えている人間を誘う手口、そしてあれをやってのっけたのが同世代だということ。



途方もなく闇を感じる。あるいは手詰まり感。








先行きの見えない未来を見通していくために同世代と共に「いま」を考える。


Age28を共同発足した際、そのような趣旨を茶昊さんと話した。



昨日のルールが今日は通用しない。そんな混迷を極め、先行きの見えない時代でも閉塞感に潰された「残念な大人」にはなりたくなかったから。



30を目前に控えると、同世代でもオヤジ化・オバサン化する人とそうでない人がはっきり分かれてくる。気がする。
(そのずっと前から実は分岐は始まっているかもしれないけれど)



前者に共通して見られるのは、最初ちらっと書いたけれど「閉塞感」だと思う。




閉塞する要因はきっと日常の中にいくつか見出せるはずだ。




例えば、思い通りに行かない状況や周囲に苛立って、その回復に時間を要したり。



例えば、疲れすぎて何も考えられる余裕が毎日なかったり。





精神的、身体的余裕。そして思考の余裕がなければ、詰むのは目に見えている。





考えてこられなかった、自分を変化して来られなかった人に対して、これから先、未来は優しいだろうか。




だとするならば。



これを自覚したならば。





流清