〜 いまを考える 〜



〜 いまを考える 〜

Associate Generations -28- 

目的は、熟考とmix up。
日記やコラムのような自由な投稿で、同世代のいまについて互いに理解を深めたいと思っています。



2017年8月30日水曜日

「 メモ 」





メモは取る。



忘れるから、バックアップは必要。

スケジュール確認にも必要。




頭が回らない時によく見る。

頭が回らないとか、本当に最近忘れっぽいな~とか、なにかしらのきっかけをバロメーターにしてメモを見る回数を調整する。




リズムを壊さないためだ。




あとは思いついたことをすぐ打ち込む。

高校から大学3年の携帯の頃までは、新規メール作成に打ってたなー


それからはずっとiPhone




2011年からメモがたまりすぎだから消さないと。笑





また当たり前のことを書いてしまった。








昨日のこと書けばよかったかな。



船にぶつかったり、故障とかで領土に落ちたら、どうなったことか。

ちょっと間違えれば誰かが傷つくかもしれない脅威のある時代にいる。



このリアルとどう向き合っていくべきだろうか。

茶昊


2017.8.30

2017年8月27日日曜日

「人口破綻と、男女」



「100年予測」という本を読んでいる。


先進国は人口が頭打ちだけれど、発展途上国はまだまだ人口が増えるから、世界的に見れば人口は増加の一途をたどる。

と、僕は思っていたのだけれど、この本によればどうやら違うらしい。




まとめると、

・世界的に出生率が大幅に落ち込んでいる。
・世界全体の人口を維持するためには出生率”2.1”を上回らなければいけないが、国連予測によれば、2050年になると、世界全体の出生率は2.05まで減少する。
・人口爆発は終わり、安定ないし減少に転じる。



平均寿命は伸びているが、生まれる子供は少ない。



さて、AIなどの技術革新が起きたとして、この先もわずかな生産年齢人口が非生産年齢人口を支えるこの構造は変わるのだろうか。





同書によれば、そもそも子供に対する価値観も変わってきた。


農耕社会がまだ中核であった時代や地域では、子供は富の基盤だった。

農耕社会において、人手は多ければ富をもたらす。
読み書きや高度な教育は草取りや種まき、刈入れには必要ない。
老後のあてにもできた。

僕らのおじいさん世代はやたら兄弟が多いのはこういう慣習が残っていたからかもしれない。

けれど、都市化すると事情も違ってくる。農耕社会ではなく産業社会においては、子どもが経済的価値を帯びるには(この言い方や考え方には抵抗があるけれど)、学校に行き質の高い教育を受ける必要が出てきた。

つまり、子供は多ければ働き手となり富の生産者だった農耕社会と違い、産業社会では子ども一人当たりにかける教育教育期間とコストの増大した。




ゆえの、少子化。



多分この潮流は止まらない。


自然回帰への流れも社会のそこかしこで現れては来ているけれど、産業の高度化は経済とあまりにも深く結びついている。

だからさっき投げかけた問いへの僕なりの答えは、AIの技術革新が起きても、多分構造は変わらない。




その事実を受け止めて、

昨日深森さんが書いていたように、


人が人として生きていく意味、「希望ある物語を紡ぐこと」



を創造していくひとつのカギは、男女の関係性の再定義にあると個人的には思っている。



それはまだまとまってないので、またいつかにするけど、少し論点をおいていく(笑)


・一昔前と違い、女性の経済的な男性依存度は下がっている。
・ゆえに結婚を繋ぎとめるのは必要性よりも「愛情」。
・ヒトの男女とほかの哺乳類の雌雄との違い。
(※性の在り方が社会の在り方を決める要因の一つ)






流清

2017年8月26日土曜日

AIとこれから

興味があろうとなろうと
この問題を無視して未来を考える事は難しいくらい
新たな産業革命が起きようとしています。



参考文献として分かりやすい著書を探していて最近出会えたので一応紹介します↓

井上智洋著:「人工知能と経済の未来 2030年雇用大崩壊 」文春新書


前半はAIについて知識のない私も理解できるほど分かりやすく
後半は経済的観点からAIについて論じられております。
興味ある方は是非。



参考著書の切り口はマクロ経済的な観点からですが

AIという、可能性の計り知れないテーマについて考えるにあたり



哲学的視点、技術的視点、文化的視点、労働力的視点…などなど
多くの切り口がある事がまた奥深いと思う。



2030年頃に人工知能が人間の知性を上回ると言われています。


しかし、人工知能が人間の知能を上回ったとしても


高次の概念を獲得して人間らしい自由や権利を行使し、芸術、文化的な営みを行うにはまだまだ難しく

そこに至るまでの道のりは大分時間がかかりそうです。





私たちが危惧する1つである雇用の崩壊ですが


意外にも最初にAIに奪われる仕事は中間層の仕事のようです。


労働を肉体労働、事務労働、頭脳労働と分類した時に

この中で1番AIが得意とするのが、まさに多くの中間層が携わっているであろう事務労働。
PCを使った仕事。
ホワイトカラーの業務です。


中間層が大多数であるからこそ失業者数も大きくなるでしょう。


しかし業務革新が進むことは新たな雇用も生まれることであり


まさに流清さんや茶昊さんが言われている
仕事の意味や人間としてのあり方について

向き合っていく必要があると思うのです。




AIには、人間と同じ肉体がない以上、言語化出来ない多くの概念を人間と共有することができません。


まさに異文化人種か、はたまた宇宙人に近いかも知れない。


そんなものを今人類は産み出そうとしている。




何が起こるか予測が難しいと言われている分野で

AIの開発競争が世界各地で始まる中


少子化かつ超高齢社会で資源の乏しい日本は特に他国に遅れをとらないよう

また研究や開発競争に参画していくのでしょう。





人口が確実に減少し労働力も無くなっていく中で



個は個で自身のあり方を考える必要があり



極度に悲観するでも楽観するでもなく


でも確かに希望を持てるような物語を提示できることが



技術革新とともに求められることだと思いました。




人が人として生きていく意味を 物語を紡ぐことは


AIには出来ない、次世代に残せる資産の一つになりうるかも知れない。



深森


♯AI・技術革新

2017年8月23日水曜日

「 代われない 」






AIにとって変わられる可能性の高い職業、低い職業」

という記事の書かれた雑誌がコンビニに置かれていた。




「タクシー運転手」とか表紙に普通に書かれてる。

運転手の皆さん、よくコンビニに停めて休んでるのを見かけるし、

絶対目にはいると思うのだけど、どう思ってるのだろうか。





携帯がスマホに代わっていくように、AIも仕事に浸透してくる。

便利なものとして入ってくるはずだ。





役に立つだろうなぁと思う。

人の能力の隙間を埋め、仕事の水準をあげるようなこともあると思う。

危ない仕事はAI搭載の機械にまかせて、管理は人がするとかもあると思う。



でも、AIが進化してったら、

「いや、管理も僕がやりますんで」ってAI君に言われて、任せるようになるだろう。



そして、あっという間にAIの時代になる。




既存の仕事がなくなり、新しい仕事がでてくるのかもしれない。

やることなくなるかもしれない。

でも、いずれ「仕事ってなんなんだ。」という壁がやってくる。




生まれてくる次世代の子どもたちは、どんな大人をみて、何を目指していきて行くのだろうか。

それに、大人という概念も変わりそう。




AIによる社会の再構築、AIと人の共存。

どんな風に生きていくのかな。

AIがでてきて、楽になることもあるかもしれない。




それでも、

どんな生き方をするのか、どうありたいのか。



それを考えることは、誰も代われない。

AIでさえ代われない。




そしてそれが、人と人、人とAIの関係性において、本当に重要なことになるのではなかろうか。




茶昊


2017.8.23




関連コラム:流清さん記事はこちら。
http://age28.blogspot.jp/2017/07/blog-post_30.html



2017年8月20日日曜日

「全力と余力」





こんばんは!流清です。



今日はよく僕が陥りがちな、「いっぱいいっぱいになって疲れ果ててゾンビになる」現象について、分析をしてみたいと思います。





自分のいまの体力気力を100だとすると、ペース配分考えないで常に100を目の前のことに注ぎ込もうとしてしまうんですよねー。



THE.直進型。


猪突猛進型。



下積みの時ならそれもまた良いかと思うのですが、ある程度上の立場に立つと、


「周りのこともみる、プラス先のこともみて動く」


というのが、より求められますよね。どこの仕事場でも。



むしろ、それができる人が上に立つべきですよね。でないと下の立場の人間が困る(笑)






それには、まず


「100のエネルギーを100使い切ることが全力ではない」


という思考の転換が大事かと思います。



80の力を使い切って、20の余力で、

周りを見たり、部下の話を聞いたり、対策を考えたりした方が、目の前の問題が解決しやすい。


80の全力だってあると、自分に言い聞かせたいです。




息切れするほど全霊で走り切ることは美徳かもしれないけれど、それだけが全力の美徳ではない。



考えられない。思考を奪われる。

ペース配分できないほどの全力疾走は逆にベストを尽くしていないかもしれない。


上の立場の人間こそ、余力をいかに残すかが力量とも言えるかもしれない。


そんなことを最近考えております。




尋常でないプレッシャーやストレスに晒されている上の立場を担う読者の皆様も多いかと思いますが、


余力を残して、視野広く、凛然と仕事をしていけたら仕事楽しいですよね。




さぁ、明日からまた走るぞー!





流清

2017年8月19日土曜日

あまみ


夏の暑い時期にさしかかる頃、毎年、父方の祖母から桃が届く。




瑞々しくて皮も指でペロッと剥けてしまう





祖母は山形の農家で、四季折々に野菜や果物を送ってくれるので




私は有難くも贅沢なことに幼少の頃よりそれを食べて過ごすことが普通でした。




桃に限らず、山形のさくらんぼ、なし、りんご、ぶどう…
いつも食べきれないほどの量を送ってくれるので、毎日同じものばかりで飽きることや、多すぎて腐らせてしまうことさえありました。





特に果物をスーパーで買ったことなど殆どなかったし、買っても祖母の作ったものの方が圧倒的に美味しかったので、余計に買いませんでした。




ところが今年、山形から桃は届かなかった。




理由はまだ聞いていない。




代わりに父が、どこかで買った福島の桃を送ってくれた。




それも確かに美味しかったけれど




私の知っている桃ではなくて





あの瑞々しさを感じられなくて





私は今まで単に美味しい桃を食べていたんじゃなかったことに今更気付いたけど





でももう二度と会えないことも突きつけられた。





あるのが当たり前だと感じるのものは時にその重みを忘れがちになるけれど




その存在の大切さにまた気付けたなら





大切だという気持ちを自分なりに表現したい。




深森


♯友人・家族

2017年8月16日水曜日

「 波紋 」

波紋





人には波があります。


生き方のリズムというべきでしょうか。






それは水面に見える波紋のイメージと重なります。




良い波は、心地よい模様を描いて消えます。

悪い波は、力任せに他の波紋を飲み込もうとします。



よくもわるくも、自分が発する波は波紋となって他人にも向かっていきます。





逆も同じです。




悪い波を受けると、心身が乱されます。

心身が乱されると身動きが取れなくなります。



良い波は、穏やかで、心地よく受けることができます。

なので、自分からも心地よい波紋を出すことができます。




波の強弱が良し悪しであるとは限りませんが。






僕の場合は、調子がいいと思うと、すぐ良くない波がきます。

最近、それに気づきました。

それが時間的リズムなのか、環境的リズムなのか、内的または外的要因なのか。

それはもうすこし夏の自由研究にしたいと思います。





なにはともあれ、

いい波を起こせる人でありたいです。


茶昊


2017.8.16

2017年8月13日日曜日

「薫陶」

最近思ったことを、思考メモ的に書いて行こうと思います。








先日、久しぶりに再会した友だちと今の学校教育の話になった。


かいつまんで言えば、昭和的押し付け指導や根性論ってなんなんだろうね、という話になったわけだけれど、ここでふと、そもそも、



「教える」仕事ってなんだろう?



という哲学的な問いが頭をよぎった。



教える仕事の社会的意義は何か?


何を教え、伝えるのか?



学問や知識などの体系化された真理か。

生きるために最低限必要な知識や技術、社会儀礼か。



このように、頭の中でぐるぐる考えていると、そもそも公教育の発端は寺子屋なのでは?というところに行き着いた。


そうすると、「読み書きそろばん」。



あの時代を豊かに生きるための知識や教養を、先達が若輩に伝える場であったと捉えられる。



とするならば、ここが問いに対しての核心だろうか。



「この時代を豊かに生きるための何かを伝える場所」。



それは「押し付け」では決して伝わらないよなと思う。





この不透明な時代の中で、豊かに生きるとは何か。



その答えを自分なりに日々探っていき、ある年齢で形に出来ない人は、下の世代に一体何を教えるのだろう。



実践的なスキルや知識、生きる術を伝えるのも確かに大切だが、

教え手の心の中に、肝心な「豊かに生きるとはどういうことか」という実体験やビジョンが抜け落ちていては、本末転倒ではないか。




学術や技術が直接伝わらなくても、生き様に刺激を受け、道が拓けることもある。





それを「薫陶」というらしい。






流清

2017年8月12日土曜日

夏の空模様

最近の天気は全く読めない


天気予報を見て今日は曇りか雨かと思っていたら

急に晴れてくるし


朝からぴーかん照りの晴れた日かと思えば


ゲリラ豪雨やヒョウが降る。



一昔前は地球温暖化や持続可能性を考え、省エネ、エコ、節水節電。


エアコンの温度設定の推奨は28℃だった



それ以上下げる人は白い目で見られたもんだし


震災があった時も節電が当たり前だった。


みんなそんなことを声高に叫んでいたはずなのに


正直もうそんな次元じゃない。。
パラダイムシフトが起きている。



エアコンがないと熱中症で倒れそうだし



37度とか言われた日の外気の灼熱地獄には生命の危険を感じる。



現実的に考えて温暖化を止めることはできない以上、これを毎年乗り越えていかないといけないわけで


それならば、如何に夏を制するか(受験生みたいだ…笑)



2020年の東京五輪は、暑すぎて死者が出るんじゃないかとひっそり危惧している。



もしかしたら近い将来、灼熱の東京に住む人は居なくなるのかもしれないけど


それでも体づくりの資本として肝になるのは夏の過ごし方なのではないだろうか






取り急ぎ自分にできることといえば


暑さとうまく付き合う術を取り入れ


運動や食事に気を付けて

暑さに負けない体を作ること。



夏は、自分の体のメンテナンスにかける時間を意図的に増やしていきたい



深森


#健康

2017年8月9日水曜日

「 公衆トイレ 」

公衆トイレ






公衆トイレでの注意しているポイントは、5つ。






トイレのドアノブ。

便器フタ。

便座。

便座の裏。

トイレットペーパーのフタ。

トイレットペーパー。

洗浄スイッチ。

蛇口。

乾燥機の中。



あぁあ、5つじゃおさまらなかった。(笑)





ちょっと気にし過ぎと思われそう(笑)






ただ、衛生面への注意力は、大事。


と思う。


お腹壊すとか、病気になるとか、いらぬリスクを負いたくない。








掃除している人には感謝している一方で、テキトーにやってる人のことも脳裏に浮かぶ。

マニュアルではなんともならない。









ホームセンターのトイレで、用を済ませた店員のおじさんが、
手を洗わずに店内に戻っていったときに、







だから、オヤジは嫌われる。

と思った。(笑)



茶昊


2017.8.9

2017年8月6日日曜日

「メキシコやばい」




今日は久しぶりに幼馴染の弟と再会した。


僕の両親が家業で忙しい代わりに、小さい頃はその幼馴染のお母さんが兄弟と僕をよくいろんな所へ遊びに連れて行ってくれた。


自然が好きになったのも、彼らと森や川へよく行って遊んだからだと思ってる。


で、幼馴染の弟、Y君とする。



彼は今メキシコで働いている。

スペイン語と英語が話せる。向こうに行ってもう2,3年になるのかな。


前回会ったのが去年、彼の兄の結婚式辺りで、それから今日までずっと、1年以上日本に帰国していなかったらしい。



仕事はかなりの激務のようだ。


曰く、まずメキシコは週休2日だけれど、圧倒的に祝日が少ないらしい。

3連休などレア。

代わりに年に1回、1週間連続休暇を取らなければいけないと。

今回は仕事が立て込んでいたけれど無理やりそれを使って帰国したといっていた彼は一年前と比べてかなり仕事に疲れているようだった。


まぁ日本も日本でそういうところよくあるかもなーと思ってた。


あと、メキシコ人は自由な性格で夜中だろうとお構い無しに仕事の電話とか来るらしい。


まぁそれも日本でもたまにブラック企業で見かけるよな、と思って。


日本のブラックもなかなかやばいよと思っていたのだけれど。




ただ、彼はやりがいのある仕事と言っていたが、どうやらしんどいのはメキシコでの暮らしらしい。



以下会話の一部始終。





「おいしい食べ物は?」


「んー。。。。(2分ほど考えて)


..........アボガド」



「料理じゃなくて素材なの?笑」


「フルーツとかはおいしいかも」


「でも、タコスとか有名だよね」


「確かに。でも、もう最初の一年で一生分食べたので笑。

とにかく食がひどいですよ。おいしいものがない。」



僕には無理だなー。さらに、


「この写真みてください。トラック事故の写真なんですけど、」





「おお、どういう状況?」



「カーブを曲がりきれずに事故ったんですよ。ちなみにメキシコでは運転粗い人多いので、めっちゃ運転うまくなりますよ笑

このトラックは鶏を積んでいて...」


「うん、写真よく見るとそれらしきものが映ってるね。集まった人たちが回収のお手伝いしているの?」


「いや。地元の人たちが集まっているんですけど、それ回収のお手伝いじゃなく窃盗です。」


「マジか(笑)そんなことがあるの?笑」


「あるんです笑」



さらにさらに、


「メキシコの治安はやばいですよ。窃盗や強盗、誘拐とか事件が毎日のように。

現地日本人の商工会議所みたいなところのメーリングリストに登録してるんですけど、あそこでこういう事件が起きたので注意して下さいみたいな注意喚起のメールが毎日来ます。」


「衣食住の食と住が壊滅的なんだね.....」



「メキシコやばいです。」



「メキシコやばいね。」







彼の帰国と安息に満ちた生活を心から願っている。




written by 流清

2017年8月5日土曜日

幸せは歩いてこない

だから歩いていくんだねと


水前寺清子さんが歌っていたけれど



何か楽しいことが向こうから勝手にやってくることは無い


チャンスは望んだ者にしか訪れない



貪欲であれ


ひたむきであれ


言うは易しだが、その姿勢は難しい






いつも全力である必要はなく


でも日常の中でひっそりとしっかり


アンテナを立てて


動いて



その結果が実る日を心待ちに


意識の奥に潜めておいて



日々怠らないでいればいつか




ちゃんと



ひょっこり顔を出して来る


繋がるときが来る




この快感がたまらない



深森



♯哲学

2017年8月2日水曜日

「 変わること 」

変わること






変わるべきだ!

変わらなくていい!

変わってもいい。

変わらなくてもいい。

どちらでもいい。




自分にかける言葉は何か。






って、それを考えてる間に色々変わってる。

良くも悪くも、なんでも微妙に変化してる。


時間は経ち、気温も湿度も変わり、細胞は入れ替わり、気持ちは起伏を繰り返し、疲労は蓄積し、喜びでリラックス、なんでも。





自分の意志以外に強いられながら、

自分の意志で選びながら、

変化はしてる。






生まれてから、

それぞれが様々なことを抱えたりして、色々と強いられているわけだから、

こんなに理不尽なことはないなと思うけれど、


それを超えていくには、「自分の意志で選ぶ」ことの積み重ねしかないと教わり、頭ではわかっている。





うしろから迫り来る、「強いられる変化」の壁。




ゆっくりはやく「自分の意志で選ぶ変化」をしたい。



2017.8.2